先日受けた、アレクサンダー・テクニックのレッスン。
今日は我が師の小島信子女史(右写真)について、書いてみたいと思います。
アレクサンダー・テクニック自体についてはネットで調べると色々出てくるので、ここで説明は省きます(実際説明するのは困難です)が、私が始めた理由は「自分で自身の体の調整ができるようになる」ことが素晴らしいと思ったからです。
旅が多いこの仕事では、旅先で体の調子を崩した場合、行きつけの整体や針などに治してもらうことはできないし、日々変化する身体に自分で対応できるようにしておけば怖いもの知らずだ、と考えたのです。
それに、年齢とともに落ちる筋力に頼らず、歳を経たら弾けなくなる、という恐怖も気にしないで済みます。
同じような効果としてヨガもありますが、私は身体が硬くて無理そうだと思って敬遠してしまったのと、ヨガよりもずっとシンプルなこと、それから、始めてみてわかったのは、身体を使うあらゆることの大前提に必要なものだと実感したこともあります。
私自身はずっと小島先生一筋ですが、その前に私にこのテクニックがどんなものなのかを教えてくれた人とは、アプローチが全然違うな、と思いました。
本も読みましたが、小島先生は「考えて行うのはDoingだから良くない」という理由から、思考を重視する癖のある私には特に本は読まないほうが良い、と仰っています。
考えてできるものではない、ということですね。
なので、ボディマッピングを使う流派?ではないです。
私が小島信子先生一筋でいる理由は、先生の探究心の深さ、目的に対する総合的な姿勢や考え方のブレのなさ・シンプルさ、そして一番大事な、ハッキリとしたダイレクションがあること、です。
ちなみに、このダイレクションは、どうやら鍛錬したから必ず得られるものでもなさそうです。
資格を得ている人でも、です。
それで私は他の先生のところに行く気がしないのです。
(注・ダイレクションは「有る無し」ではなく、「強いか弱いか」ということらしいです。)
では、はじめに小島先生語録?を並べてみます。
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何もしない。何も考えない。
- 重力にまかせる
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部分ではなく全体をひとつに感じる。
上記はほとんどレッスンで毎回、しかもレッスン中もずっと繰り返し言われ続けてることです。
重力に任せきると、「反重力が働く」という言葉も。
他にも、問題が起きた時も上手く行った時も、その感覚に囚われないこと。
期待しないこと。
目的や目標を持たないこと。などなども。。。
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心静かにあること
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「ここにいる」こと
至ってシンプルです。
でもこれがなかなかできません。
集中するというのとも違うし、ただリラックスするのとも違います。
最初は身体を動かす時のテクニックだと思っていたけれど、だんだん心の在り方までも変わっていきます。
レッスンの始めの15分ほどのテーブルワーク(平らなところに寝た状態で行う)で、先生のタッチによって背骨のひとつひとつの骨と骨の間が柔らかく伸びていき、血の巡りが良くなり、本来誰でもが持っている 力強くしなやかな背骨と首が体全体を支えてくれるようになります。
私自身は、もともと筋トレをしたりするのが趣味(⁉︎)だったためか、内的筋肉やデリケートな感覚を感じ取る神経がとてもとても鈍くて、演奏中にこの鍛錬の成果を感じられるようになったのは10年も続けてきてここ最近ようやく、というテイタラク(汗)です。
でも先生曰く、アレクの習得はそのくらい時間のかかることのようです。
30年以上もこの内的感覚を忘れて生きてきてるのだから、習得(というより本来備わっていた感覚を取り戻す)のに10年かかっても当たり前だといわれ、最近はそう思えるようになりました。
そう、これは誰でもが本来「生まれた時から持っている能力」なんだそうです。
ほとんどの人はその能力を見失ったために、病気になったり怪我をしたり体調を崩して痛い目を見てからしか顧みることのない、忘れ去られた能力だというのてす。
なんと勿体無いことをしてきたのか、、、、。
これも小島先生の口癖です。
アレクサンダー・テクニックのことを書き始めるとここに1回では足りない!
というか、今回書きたかったことに至っていないのにすでに長文。。。
…というわけで、これはまた後日もシリーズとして書きたいと思います。
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